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東京地方裁判所 昭和56年(行ク)90号 決定

申立人

株式会社大郷材木店

右代表者

大郷義道

申立人

大郷義道

申立人

大郷実

右申立人ら代理人

高橋利明

外一〇名

相手方

東京都知事

鈴木俊一

右指定代理人

樋口嘉男

外七名

主文

本件申立てをいずれも却下する。

申立費用は申立人らの負担とする。

理由

一本件申立ての趣旨及び理由は、別紙(一)ないし(三)記載のとおりであり、これに対する相手方の意見は、別紙(四)記載のとおりである。

二当裁判所の判断

1  本件疎明によれば、次の事実が認められる。

(一)  本件事業の概要

東京都市計画事業飯田橋地区第一種市街地再開発事業(以下「本件事業」という。)は、施行者を東京都とし、施行地区を東京都千代田区飯田橋四丁目の一部並びに東京都新宿区揚場町及び神楽河岸の各一部(以下「本件施行地区」という。)とする市街地再開発事業である。本件施行地区は、南側を国鉄中央線飯田橋駅に、北側を幹線街路環状二号線に、東西を幹線街路放射七号線及び補助街路七四号線によつて囲まれた通称「飯田濠」を中心とする総面積二万三一〇三平方メートルの地区である。本件事業の目的は、江戸城外濠の一部を形成し上流の市ケ谷濠等と下流の神田川を連絡して通水機能を果たしてきた飯田濠が、近年著しく汚濁し、悪臭等の公害発生源となり、都市の環境衛生及び景観を阻害する状況になつたため、飯田濠の一部を埋立て残存水路を暗渠にし、地区内建築施設の整備と合わせて地域緑化を行い、生活環境の改善を図るほか環状二号線を拡幅整備して交通の緩和を図るとともに、地下鉄有楽町線、地下鉄東西線、国鉄飯田橋駅及び計画線である地下鉄七号線の相互連絡施設を整備して都市高速交通機関の有機的な整備を促進する等、同地区の一体的な整備により都市機能の更新を実現しようとするものである。

そして、相手方である東京都知事は、昭和四七年七月一三日本件事業に係る都市計画の決定を行つた。一方、東京都は、同月三日飯田濠の公有水面埋立免許を得、同年一〇月二日から昭和四八年三月三一日までの間に飯田濠約八六〇一平方メートルのうち五〇一三平方メートルの埋立工事を行い、同年一二月一八日埋立竣功認可を受けて埋立地の所有権を取得した。更に、東京都は、昭和五三年三月一一日本件事業に係る事業計画(以下「本件事業計画」という。)を決定した。

本件事業計画は、本件施行地区の東側及び西側に緑地を造成し、更に暗渠化した水路の上も緑化したうえ、これらを含む国鉄飯田橋駅北側沿いの土地八六二一平方メートルを施設建築敷地とし、同地上に、地下二階から地上二階までの低層部、右低層部を基盤とした地上三階から地上一六階までの東側高層部、同じく地上三階から地上二〇階までの西側高層部からなる施設建築物(延面積五万六二八〇平方メートル。以下「本件施設建築物」という。)を建設し、低層部に店舗、駐車場、東側高層部に住宅(一五四戸)、西側高層部に事務所、店舗を配置することを主たる内容とし、事業施行期間は昭和五三年三月一一日から昭和五七年三月三一日までである。

(二)  本件戒告処分に至る経緯

申立人株式会社大郷材木店(以下「申立会社」という。)は、本件施行地区内において、別紙(一)の物件目録一1及び6の土地(以下「本件土地」という。)並びに同2ないし5、7及び8の建物を所有し、申立人大郷義道は、同じく同目録9の建物(以下、申立会社所有の右建物と合わせて「本件建物」という。)を所有し、申立人らはこれを占有しているところ、東京都は、昭和五四年三月三一日付け書面で、申立会社に対し、本件施設建築物のうち低層部地上一階中央部の店舗706.78平方メートル、同二階の店舗130.85平方メートル、西側高層部(事務棟)四階の事務所157.78平方メートル及び同五階の事務所790.83平方メートルの所有権を、申立人大郷義道に対し本件施設建築物のうち低層部地上二階の店舗125.58平方メートルの所有権を付与する等の権利変換処分(権利変換期日同年四月三〇日、以下「本件権利変換処分」という。)を行つた。

東京都は、本件施設建築物の工事を昭和五五年三月二一日に着手したが、工事の進捗に伴い申立人らの占有に係る本件土地の明渡しを求める必要が生じたため、同年六月一九日付け土地明渡し請求書をもつて申立人らに対し、同年九月一八日までに本件土地を明渡すよう請求する一方、事態を円満に解決するべく、移転補償額、代替地の提供等について申立人らと鋭意交渉を重ねたものの結局合意するに至らなかつた。そこで、東京都は、昭和五六年八月一四日申立会社及び申立人大郷義道に対し、再開発審査会の議決した土地明渡しに伴う損失補償額を持参提供したが、受領を拒否されたので、東京法務局に右金員を供託し、合わせて翌一五日付け催告書をもつて申立人らに対し重ねて明渡しを要求した。

しかし、申立人らが依然明渡しに応じなかつたことから、東京都は、同年九月一四日付け行政代執行請求書をもつて相手方に対し、都市再開発法九八条二項の規定による行政代執行の請求をし、これを受けて相手方は、同月一八日付け戒告書をもつて申立人らに対し、同年一〇月一九日までに東京都に対して本件土地及び本件建物を引渡すこと、並びにこれらに係る動産一切を撤去すること、右期限までに義務の履行がないときは代執行を行うことを戒告した(以下「本件戒告処分」といい、これに伴う代執行手続を「本件代執行」という。)。

(三)  工事の進捗状況

本件事業計画は、本件施行地区の南側から本件施設建築物、本水路を順次建設し、北側の残余部分を環状二号線の拡幅に当てようとするものであり、本件土地は、本水路と環状二号線拡幅部分の一部に当てられることが予定されている。ところで、本件施設建築物と本水路の建設予定地には、飯田濠の一部が水路として残存し、上流の市ケ谷濠等と下流の神田川とを結んでいた。そこで東京都は、環状二号線拡幅予定部分(したがつて、本件土地の一部もこれに含まれる。)に延長三一二メートルの仮水路を設け、本水路建設までの通水施設としたうえ、本件施設建築物の建設を行うことになつた。仮水路の築造は、本件土地部分等九七メートルを除外した二一五メートルが昭和五五年三月に完成し、次いで本件土地部分五四メートルのみを残した爾余の部分が昭和五六年二月に完成したものの、申立人らの占有する本件土地部分に関しては、申立人らの反対によつて工事が不可能な状態となつた。東京都は、昭和五五年三月から残存水路以外の部分で本件施設建築物の工事に着手していたが、仮水路の築造工事を延引させることは全体の工事を遷延させることになるとの判断に立ち、仮水路工事が完成するまでの間の応急措置として、本件施設建築物の東側高層部と西側高層部の間(したがつて、低層部の中央)を南北に縦断する臨時水路を築造することに決し、三九六三万円の工事費を投じて昭和五六年六月にこれを完成させた。臨時水路の完成の結果、残存水路を廃止し、その部分では本件施設建築物及び本水路の工事が可能になつた。現在、本件施設建築物の全基礎工事が完了し、東側高層部の鉄骨工事も地上三階まで完成しているものの、臨時水路の存在が障害となつて、低層部の中央部の着工が不可能な状況にある。本件施設建築物の工事は、当初計画では昭和五七年三月末完成を予定していたが、仮に本件土地の明渡しが早期に実現したとしても、現段階では昭和五八年八月まで遅延することは避けられない見通しであるところ、本件土地明渡しの早期実現がなければ工事全体が更に遅延し、一か月の遅延につき約一億七七〇〇万円の事業費の増加が避けられない状況である。

なお、本件事業の総事業費は二九二億五一五三万二〇〇〇円であるところ、昭和五六年九月末日までの執行済額は、六三億六七〇九万三〇〇〇円で、全体の21.8パーセントである。

2  申立人らは、本件戒告処分は違法であるとして、その取消しを求める本案訴訟を当裁判所に提起し、本案判決の確定に至るまでの本件代執行の停止を求めている。

そして、申立人らは、本件代執行が続行され、本件施設建築物が完成すると、本件土地を奪われ、また、本件施設建築物内では材木商を営めないので職業も奪われることになるが、たとえ本案訴訟で勝訴しても、本件施設建築物を取り壊す等原状を回復したうえ本件土地で材木商を再開することは不可能であるから、回復し難い損害が発生すると主張する。

本件疎明によれば、申立会社は昭和二三年以来本件土地において材木商を営み、申立人大郷義道はその代表取締役、申立人大郷、実は取締役であること、本件土地は前記認定のとおり北側を環状二号線、南側を飯田濠に囲まれ、都心部にありながら総面積が923.26平方メートルとかなり広く、長大車両による木材の搬出入が容易で、しかも製材用機械の発する騒音について一般住民の苦情を免れる等、材木商を営むには絶好の場所であること、他方、本件施設建築物の構造、形態、主要用途等に照らし、申立会社が本件施設建築物内において従来どおりの規模、内容の下に材木商を継続することは、今後設計計画に変更がない限り、事実上は不可能に等しいことが認められる。しかしながら、申立人らは、本件権利変換処分により取得した本件施設建築物内の店舗及び事務所によつて従来どおりの経済的利益を得ることが可能であつて、金銭的損害を受けるとは認め難い。もとより、長年馴れ親しんできた土地を離れ、職業を切り替えることの苦痛は無視できず、経済的ないし金銭的なつじつまが合えばそれでよしとすることはできないであろうが、申立人らにおいてあくまで従来の形態による材木商を継続することを希望するのであれば、本件施設建築物の権利を処分して代替地を求めるという方法があり、本件疎明によれば、現に東京都は申立人らが材木商を営める代替地として千代田区、新宿区、文京区及び江東区内の土地一八か所を提示し、代替地の確保に最大限の努力を尽してきていることが認められ、これによつて申立人らが従来の形態に近い材木商を継続することが可能である。更に、本件疎明によれば、申立会社及び申立人大郷義道は新宿区及び浦和市内に少なくとも一五か所、合計2101.46平方メートルの土地を所有していることが認められ、こられの土地の活用も可能と考えられる。その際、土地の移転、営業規模の縮小、営業方針の変更等により損害を蒙ることがあり得るとしても、その程度は金銭賠償をもつて受忍すべきものといわなければならない。そうすると、本件においては、回復困難な損害があることについて疎明がないものというべきである。

3  更に、本件執行停止は、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある場合に該当するものというべきである。

前記認定のとおり、本件事業には既に六三億六七〇九万円余の巨費が投入され、現在、本件施設建築物の全基礎工事が完了し、東側高層部の鉄骨工事も地上三階まで完了しているところ、本件土地が明け渡されないため三九六三万円を費消して臨時水路の設置を余儀なくされたうえ、低層部の中央部の工事が不可能な状況に立ち至つている。そして、本件土地明渡しの早期実現がない限りは、本件事業計画の工事全体に遅延が生じ、そうなれば遅延一か月につき約一億七七〇〇万円の事業費が増加するばかりか、本件事業そのものの意義に甚大な影響をもたらすおそれさえあり、本件代執行を続行した場合の申立人らの損害と比較して、遙かに重大な損害が発生する。

したがつて、本件執行停止が認められると、公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるものといわなければならない。

なお、申立人らは、本件事業が違法であること、本件代執行については行政代執行法二条の「他の手段によつてその履行を確保することが困難であり、且つその不履行を放置することが著しく公益に反すると認められるとき」との要件が欠如していること、本件土地及び本件建物の引渡しは行政代執行の対象となし得ない義務であることを理由に、本件戒告処分は違法であると主張する。

しかしながら、本件事業に係る都市計画決定、事業計画決定、権利変換処分あるいは公有水面埋立免許処分に無効原因となる重大明白な瑕疵が存することの疎明はない。そして、これらの処分にたとえ取消原因となる瑕疵が存したとしても、これらの処分と本件戒告処分とは別個独立の処分であるから、右違法性は本件戒告処分に承継されない(山口地裁昭和二九年六月一九日判決・行政裁判例集五巻六号一五一〇頁、前橋地裁昭和二九年七月一七日決定・同五巻七号一七〇六頁、東京地裁昭和四一年一〇月五日判決・同一七巻一〇号一一五五頁参照)。また、本件代執行は、都市再開発法九八条二項の規定に基づくものであり、同項所定の要件を充足する限りは相手方は行政代執行をすることができるのであつて、行政代執行法二条所定の右要件が重ねて適用となることはない。更に、本件土地及び本件建物に存置された物件を搬出することによつて、引渡しの対象である本件土地及び本件建物の現実の支配を東京都に取得させることは必ずしも代替不可能ではなく、右引渡しをもつて行政代執行の対象となし得ない義務ということはできない。したがつて、本件戒告処分に違法の存することが明らかとはいい難く、本件代執行を停止することが公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがあるとの前記判断を左右することはできない。

4  以上の次第であつて、本件申立ては、いずれにしても、爾余の点について判断するまでもなく理由がないことに帰するから、これを却下することとし、申立費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり決定する。

(泉徳治 大藤敏 菅野博之)

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